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2007年08月08日

甲子園

本日開幕致しました~。いよいよですね。
去年はハンカチ王子と、「佑ちゃん」が大注目の選手でした。
今年はどんなドラマが待ってるのでしょうか。

ただ、甲子園の場所ってどんな歴史があったか知っていますか。
少しだけ、そのことについて調べてみました。

学習して、去年より色々な視点で楽しみたいと思います。
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甲子園(こうしえん)は、兵庫県西宮市南東部地域の名称である。阪神甲子園球場の所在で知られるほか、市内の他の「園」と一緒に、西宮七園として高級住宅街の一つにあげられる。

なお、「甲子園」の名前を付けた地名は東海道本線の辺りから、国道2号・阪神本線をまたがって海岸に至る広範囲に分布する。甲子園球場のほか、武庫川女子大学の学舎である甲子園会館など、大正~昭和期の歴史に残る近代建築が残存する場所でもある。


● 概要
1951年に西宮市に編入されるまで武庫郡鳴尾村と呼ばれていたこの地域には、かつて、武庫川の支流として枝川(えだがわ。現在浜甲子園団地内にある枝川は戦後に作られた人工水路であり一切関係ない)・申川(さるがわ)という河川が存在した[1]。阪神国道(現在の国道2号)整備にあわせて武庫川の氾濫を防ぐ改良工事が兵庫県により行われることになった。このときの資金繰りとして、武庫川の改良により枝川・申川を廃川し、河川敷跡を阪神電気鉄道に410万円で売却することとした。なお、この410万円は、約310万円が武庫川改良工事に、約100万円が国道整備に充当された。

阪神電気鉄道は、購入した河川敷跡73,920平方メートルに、住宅地および行楽地を開発した。阪神国道(国道2号線)を起点に南に向かって一番町、二番町、・・・、九番町までの住宅地が造成され(これが住所表記の地名にも採用されたのは西宮市に編入されて以後のことである)、七番町の西側(旧枝川・旧申川の分流点あたり)に現在の阪神甲子園球場となる大運動場[2]が作られた。また、旧枝川河口には甲子園娯楽場(のちの阪神パーク)が開園した[3]。

学校も誘致しており、甲陽学院がキャンパスを構えた(のちに移転し、跡地には東半分に甲子園東洋ビルが建設され、現在ダイエー甲子園店が核テナントとなっている。西半分は甲陽学院と同じ経営母体の白鹿グループが1992年にホテルを設置した[4])。

一帯は、その中核である大運動場が1924年に開設され、その年が干支でいう甲子の年であったことから「甲子園」と名付けられた。当時阪神間の大規模宅地開発の多くは専門のデベロッパーが関与していたが、甲子園は阪神電気鉄道が開発した。甲子園へのアクセス駅として、阪神電気鉄道は甲子園駅を設置した。

国道2号の上甲子園交差点より阪神甲子園駅方向へ伸びる幹線道路は、なだらかにカーブしている。これはそのまま旧枝川の水路跡であり、この道路の両側(旧枝川河川敷)に住宅地が造成された。また、この道路に、阪神電気鉄道により甲子園線が1926年に浜甲子園まで、1930年には中津浜まで敷設され、1975年に廃止されるまで阪神電気鉄道自らが開発した住宅地及び、行楽地への輸送機関として重責を担った。

旧申川の水路跡にも、幹線道路にこそなっていないものの道路(阪神甲子園球場西側の、兵庫県立西宮今津高校にのびている道路)が整備されている。

甲子園の誕生にあわせて、1934年に北の瓦木村にできた東海道本線(今のJR神戸線)の新駅は、当初「瓦木駅」と命名される予定であったが、甲子園からの乗客誘致を図って甲子園口駅を名乗ることになった。実際に、(甲子園の中核である阪神甲子園球場からは遠いものの、)甲子園一番町については阪神甲子園駅よりも甲子園口駅のほうが近いため「甲子園口」を名乗るにふさわしかったのだが、この駅周辺の住所表記の地名も「甲子園口」となったのは1950年のことである。

^ 枝川・申川とも、それ自体が武庫川の氾濫により誕生した川であった。1557年の氾濫で、武庫川から枝分かれする形の川が形成され、これが「枝川」と呼ばれるようになった。さらに1740年の氾濫での枝川の分流が川となり、この年が十二支で申年だったことから「申川」と呼ばれるようになった。なお、枝川・申川の形成からも分かるとおり、当時の武庫川は左岸よりも右岸に氾濫する傾向にあった。これについて詳細は明らかではないが、地理的要因のほか政治的要因もあったとの説もある。
^ 当時近所にあった鳴尾球場(もとは鳴尾競馬場で、競馬場としての流れは阪神競馬場に通じている)の代替の役割もあった。
^ 戦後の1950年に八番町(現在はららぽーと甲子園のある場所)に移転している。
^ 甲子園都ホテル。2002年9月7日より提携先を変更したため「ノボテル甲子園」に改称。現在、甲陽学院高等学校がテーブルマナー講習会をノボテル甲子園で行っているのは、このときの地縁ならびに経営母体のつながりによるものである。


色々と歴史深いところなんですね。
今度は是非球場に行ってみたいとおもいました。

余談ですが、わたしの同級生に甲子園という名前の子がいます。
なんでも、お父さんが大の甲子園好きのようで。
この時期、自分の名前が連呼される事嫌がってたっけ。

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